ちった図書室 ~Bibliothèque de Cittagazze~

手当たり次第に読んだ本を手当たり次第に記していこうという、意気込みだけは凄い図書室。目指すは本のソムリエです。

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『フランケンシュタイン』

ETVで放送されている 「100分 de 名著」 【公式サイト】 を視聴していなかったら、この名作を読むことは無かったと思う。

視聴する前、私が『フランケンシュタイン』について知っていることは二つだけだった。
・フランケンシュタイン博士が作った怪物の話であること。
・作者が19歳の女性であること。

視聴後は、むくむくと膨れ上がる好奇心と、ある種の危機感にも似た思いですぐに本を手に取った。

作者メアリー・シェリーはSFの創始者といわれる。
SFとはご存知のように「サイエンス・フィクション」の略だが、本書の要は「フィクション」にある。
「サイエンス」な部分は「生命を人工的に作る」という一点しかなく、多くは描かれない。

物語の骨子は「怪物」と「創造主」の対立である。


ヴィクター・フランケンシュタインは、美しい景色のなか、優しい人達に囲まれて育った。
アルプスの豊かな自然に触れながら、興味は次第に形而上学的なもの、生命の神秘に向かっていく。
夢中で学び、夢中で作りあげた「ひとつの生命」。

「美しく作ったはず」の生命が、片目を開け息をした瞬間、「おぞましいもの」へと変わる。
驚き、戦慄した創造主がとった行動はこうだ。

おぞましいから逃げる。
作ったのが間違いだったので捨てる。
捨てたから忘れて暮らす。

あまりにも無責任で残酷な仕打ち。
その残酷さを、ヴィクター・フランケンシュタインは最後の最期まで理解しない。
気付かない。
思いもしない。
「わたしの敵」と言い捨てる。

その上、怪物のことを思い出しては自らを憐れむ始末。
冤罪で死刑になる親しい人を前にして「自分の方が傷ついている。憐れなのは自分の方だ」と嘆くのだ。
そんな恐ろしい心の創造主に対して、シルクのように美しい怪物の心。

知的で繊細、自然を愛でる豊かな感情を持った「生命」が、容貌の醜さだけで「怪物」としか認識されない哀しさ。
誰からも「心」に触れてもらえない淋しさ。
完全なる孤独。

傷付いた怪物の「どこかで静かに暮らしたい」という願いさえ、最悪の形で裏切るフランケンシュタイン。
責任を全うするチャンスは何度もあったのに、その責任の取り方すら間違えている。


美しい文体が流れるように入ってくるが、一気に読むことはとても出来なかった。
あまりにも怪物がかわいそうで、時々、本を置いて気分を変えなければならなかったから。

ヴィクターに対しては「お前こそ本当の怪物だ!!」という怒りが込み上げる。

だが、何も知らない人々の、怪物に対する気持ちは分かる。

怪物のような外見をした者を、恐ろしいと忌避する偏見の気持ちが、私のなかにもある事を認めなくてはならない。
実際、その恐ろしいと感じる存在が、突然自分の大切な人の手をとったら振り払うだろう。
その大切な人が、力の弱い守るべき者であった場合、振り払い方は過剰になってしまうだろう。


番組内で語られ尽くした感があるが、一つだけ加えるとしたら、彼が「美しさ」しか知らずに育ったことではないだろうか。
ヴィクター・フランケンシュタインは、美しい景色のなか、優しい人達に囲まれて育った。
そのあたりに問題の根っこがあるように思えてならない。

天国で育った人間が、天使になるとは限らない。







「100分 de 名著/フランケンシュタイン」




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