ちった図書室 ~Bibliothèque de Cittagazze~

手当たり次第に読んだ本を手当たり次第に記していこうという、意気込みだけは凄い図書室。目指すは本のソムリエです。

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『火星年代記 [新版]』

人類が火星へ行く。
そんな事が現実的に論じられるようになってきた。
私としては人類が月に立ったということすら実感がないのだけれど。

それでも、ISS(国際宇宙ステーション)は確かに地球の軌道を周回していて。
そこには人間が常駐していて。
火星の上では探査機、キュリオシティが活動している。

そのキュリオシティの着陸地点こそが、本書の作者レイ・ブッラッドベリにあやかって名づけられた「ブラッドベリ・ランディング」である。

本書、『火星年代記』は2030年から始まる火星の年代記だ。
年代記にしてはずいぶん短いな、というのが目次を見た印象。
しかし、読み進めるにうちに、ほんの始まりを切り取ったものだと分かる。

地球からの探検隊は、火星人と出会う。
そして三年後には新大陸を発見したのと同じように、人々は次々と移住する。
群がり食い尽くす「いなご」 のように。

人々にはそれぞれの物語がある。
印象に残った物語を、年代と共に抜粋しよう。


2032年6月「月は今でも明るいが」
素敵なタイトルにまず惹かれる。
だが、探検隊の考えはいかにも白人的侵略者のそれだ。
一人、いや、二人を除いては。
文化は何よりも勝る。
最初に「異文化の素晴らしさ」に気づいたその人は、まず日本に来れば良かったのになぁ。
まずは故郷(地球)の異文化に触れていれば、結末は違ったものになったのではないかしら。


2033年8月「夜の邂逅」
火星のテラフォーミング(地球化)が進み、地球人は火星に町を作って暮らすようになる。
そこで出会った地球人と火星人の穏やかな出会い。
ゆったりとした、時間の交差。
残るのは幸福なあたたかさ。


2033年11月「火の玉」
こう言っては失礼だが、ずいぶんと滑稽だ。
ハムレット風に言うと「禅寺へ行け、禅寺へ」だ。
この方々もまずは日本の禅寺へでも行ってからにすれば良かったのに。
他人を変えようとするのではなく、他を受け入れる寛容さに欠けるのではないかと常々思っていたので、この話は痛快だった。


2036年9月「火星の人」
それは「優しさ」だろうか。
それとも、「生きる術」だろうか。
おそらくは後者ではないかと思う。
アメリカナイズされた火星で、火星の人は悲しい共生を目指したのではないかと思う。


2036年11月「鞄店」
この鞄店はこの後もう一度登場する。
故郷を想う時、人は何を鞄に詰め込むのだろう。
着るものと、食べるもの?
そのなかに火星で手に入れた何か、はあるのだろうか。


2036年11月「オフ・シーズン」
ホットドック・スタンドをオープンさせて一儲けしようと張り切る男。
どうやら取らぬ狸の皮算用で、目先のことしか見えていないようだ。
強制的オフ・シーズンを迫られた時の奥さんの生き生きした姿が印象的。
「百万年もしたらお客がくるかもね」 と。


2057年4月「長の年月」
彼はそこを離れることができただろうか。
そこにはどんなカタチでも優しさがあるのだ。
張られた伏線に気づいた時、なんともいえず悲しみが増した。


2057年8月「優しく雨ぞ降りしきる」
毎日の繰り返しが生活ならば、それは「生きている」ことになるのではないか。
「生き物」の上に降る雨とは……。
怖さと美しさが絶妙なバランスで描かれる。


2057年10月「百万年ピクニック」
新大陸にしがみつくしかなくなった人々。
新しい火星人の誕生だ。

「どこまで行くの?」
「百万年も行くんだよ」


新しい年代記の始まりは、百万年のピクニックから始まる。





【蛇足】
中学生の頃、演劇部だった私は、キャラメルボックスの演劇台本「百万年ピクニック」で「まりな役」を演じた。
火星に移住した地球人ほどではないにしろ、ノスタルジアをおぼえずにはいられなかった。

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