ちった図書室 ~Bibliothèque de Cittagazze~

手当たり次第に読んだ本を手当たり次第に記していこうという、意気込みだけは凄い図書室。目指すは本のソムリエです。

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『さあ、気ちがいになりなさい』

これを書く前に言っておくッ!
ありのまま、起こった事を話すぜ!

そう、確かにこの本を読む前に、私は机の上にボールペンを置いた。
しかしッ!
読み終わってみたら目の前からそのボールペンが消えていた……!!

いや、そもそもボールペンなんてあったのか!?
まったく……頭がどうにかなりそうだった……。
何を言っているのかわからねーと思うが、次に机を見たらボールペンは同じ場所にあった。

催眠術だとか超スピードだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてない。
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……。


……断っておくが、これは実話だ。


この本はスタンド能力を持っているかもしれない。
それはDIOの“ザ・ワールド”ではなく、フレドリック・ブラウンの“ユーディ”だ。
類推するに、このスタンドが発動する条件として、星新一が訳していることが挙げられるだろう。

ブラウンの発想力と物語の構成の妙。
星新一のスタイリッシュな文体。

この12編は、時に宇宙を彷徨い、時に日常の隙間に滑り込み、時に郷愁の念に心を捕え、時空すら超える。


「みどりの星へ」
「ぶっそうなやつら」
「おそるべき坊や」
「電獣ヴァヴェリ」
「ノック」
「ユーディの原理」
「シリウス・ゼロ」
「町を求む」
「帽子の手品」
「不死鳥への手紙」
「沈黙と叫び」
「さあ、気ちがいになりなさい」



冒頭、『ジョジョ』のポルナレフのセリフを借りてしまったが、読了後に起った事は事実だ。
私は実際に目の前のボールペンを見失い、その存在すらを疑った。

特に最後の1編は危険だ、と追記しておく。

それでもなお読みたいと覚悟が出来たら読むがいい。
至福の時を約束しよう。


―― さあ、気ちがいになりなさい……。






| SF | 06:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『八月の博物館』

「暑い、暑い」と言いながら読みたいと思った。
セミの声を聞きながら読みたかった。
約十年ぶりの再読である。

心のなかで「まだ読めていない」と引っかかっている本だった。
読み終えて、地球が自転する限り「フーコーの振り子」が動き続けるように、私も確かに動き続けていたのだと実感した。
「やっと読めた」という充足感を得た。
そして、まだまだ動き続けていくのだという未来を確信できた。

本書は瀬名作品によくみられる「入れ子構造」になっている。
いくつもの「物語」が同時に進み、関わり合いながら集約されていく。
「物語」と「物語」の“繋がり”こそが、本書の重要なテーマだ。

エンデの『はてしない物語』が、バスチアン、アトレーユ、読者、と繋がっていくように。

本書のバスチアンは“物語に感動できなくなった作家”だ。
彼は打開策を得ようと、子供の頃に一度だけ行ったことがある「不思議な博物館」へ自分の分身を向かわせる。
そうして、アトレーユ役“トオル”の冒険が始まる。


行き先は、エジプトのサッカラ。
博物館の案内役である少女、美宇と共に考古学者のオーギュスト・マリエットを訪ねる。
マリエットは「聖牛・アピス」の墳墓「セラペウム」を発掘した人物だ。
オペラ「アイーダ」の原作者でもある。

トオルと美宇は1867年のパリ万博にも訪れる。
日本が初めて参加した国際博覧会だ。

二人は様々な博物館、美術館を巡る。
全ては「作家が物語を書く為」に。

雑多なヴンダーカンマーを整理して、それぞれの物語を語るのが博物館の役目だと美宇は言う。
それには「作家」が必要なのだと。

美宇の父親、満月博士は「見せ方」の大事さをトオルに語る。
如何にして見せる物を「魅せる」か。
効果的に、分かりやすく、楽しく、面白く、時に驚かせて。
どうしたら興味を持ってもらえるのか。
それが博物館の役目であり、作家の役割であるのだと。

ゴタゴタしたヴンダーカンマーの中の物にも、ひとつひとつに説明文をつければ、そこには物語が生まれる。
それは「展示品」になる。
そうやって見てもらう物と見る人を“繋げる”のが「博物館」だ。


初めて本書を読んだ時は邪魔にさえ感じた「作家」という役割。
しかし、こうしてブックレビューを書くようになった今、それは全く逆になった。

私は時空を超えて冒険する「トオル」じゃない。
悩める「作家」の方だ。おこがましいけれど、気持ちはこちら側。

そして、本書を読んでいる「読者」であり、更には本の「紹介者」だ。
本の魅力をどうご紹介しようか、ということに腐心する。

そうやって出来上がったこのブログは「私が作った博物館」だと思う。

物語はすすんでいる。

物語はすすみ、物語は続いていく。
もし、このレビューを読んで下さった方に『八月の博物館』を手に取っていただけたなら、それこそが“繋がり”であり、新しい物語の続きなのだと思う。

本を読む。
これは紛れもない冒険であると思う。
その「冒険の扉」へのご紹介ができたなら、これほど嬉しいことはない。

トオルと美宇のように、今日も私は新しい扉を開ける。
それには呪文が必要だ。

「ひらけ、ゴマ!」





| 瀬名秀明 | 12:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『幼年期の終り』

「あなたは自分のお部屋にいらっしゃい。どうしてって?だって、それが一番安全だもの。そうでしょう?」

ゲームをしながらママの手づくりのお菓子を食べて、本を読んで。
ママに取り上げられちゃったゲームもあるけど、その方がいいのかな。
悪口を言うクラスメイトもいない。
勉強だって、無理にしなくていい。
ママに言えば一番良い方法を全部教えてくれる。

……でも、どうして?



始めは良かった。
地球に飛来した宇宙人はなんでも与えてくれて、問題の解決方法を優しく教えてくれる。

与えられた“非日常”への高揚感にワクワクした。
しかし、次第に居心地の悪さを感じるようになる。
全てを管理されて、刺激のなくなった“日常”への退屈。

そして湧き上がる“疑問”。
どうしてそこまで守られなければいけないのか?

「ママはあなたが羨ましいわ。あなたには未来があるもの。そうでしょう?」

未来?
どんな未来?
あれ、おかしいな。
みんな何処かに行くみたいだよ。
ホラ、お隣の子も、お向かいの子も。
私は行っちゃダメなの?

「残念だけれど、あなたは歳がいきすぎているから行けないの」

どうして?

「パパがそう決めたから。ママだって本当は行きたいのよ」



与えられたのは“平和”ではなく、“隷属”ではなかったか。
他の介入でコントロールしようとするのは、プリミティブな文化への否定ではないだろうか。
今まさに、ジャングルの奥地で行っていることと同じなのではないだろうか。


本作はどうもキリスト教思想が強すぎる様に感じる。
クラークの宗教観から見て、キリスト教へのアンチテーゼなのではないのかと思うのだがどうだろう。
なかなか消化できずにいる。







2017年、新訳地球幼年期の終わり【新版】 (創元SF文庫)が発行されました。
他に幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)も2007年に発行されています。

私が書いたレビューは1979年発行の福島正実氏訳の幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341)です。

福島氏のノスタルジックで温かみある文体がとても好き。

| SF | 20:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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